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香港からブツブツ
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週末チェリビダッケのDVDを久々に観た。彼が言うところの音の「間」ということについて共感すべきことがあった。「間」、それは物理的には音が無い瞬間、でも人間にとっては寸前に聴こえた「音」が記憶の物理的状況によって、人はどう感じて、次の音とどう連感するか、それぞれがいくつもの素となって、最終的には音楽としていかに自分の音楽として形成されるってどうなっていくのか、そんなことを教えてくれた。気がついていないけど、体験的に人々が自然に「音」を受け入れたそんな絶対的な経験を素直に音楽として具現化したのは、他ならぬチェリビダッケだと改めてそう思う。

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コメント
無題
昨日から本当にサヨナラパイレーツという感じですw。。
ムーティとはまたちょっと聞きかじりじゃ書けないようなことを書いてらっしゃいますね。聞いてみます。さて私も来日ロンドン響のチェリさんを1回だけ聞いた口ですが、クラヲタから一時期遠ざかっていたためチェリさんはお亡くなりになってからです。音楽に合わせて(ゆだねて)聞くという必要を感じたのはまさにそのあたりからなんです。空間に放たれた音楽を味わう行為は真に自らの主体的行為で人生を生き方そのもののような気がしています。楽しむ。楽しまない。満足する。満足しない。こだわる。こだわらない。といった。。。。
【2010/04/08 22:22】 NAME[hongiming] WEBLINK[] EDIT[]
無題
クラヲタネタを過去から順に遡っております。。
語学にご堪能であるが故にいろいろな交流があって素晴らしいなぁと思います。
こんな昔のにコメントということですが、思うところあってついでに。
無音は音の一種であってその繋がりにおいて音楽の重要な要素であることは昔から感じておりましたが、別のジャンルの音楽で強烈な体験をしました。ミニマル系テクノの繰り返しの中でトリスタンの最後のような緊張感を強いる上昇系で突然音楽が停止するようなパフォーマンスで突然高いところから無音という奈落へ落ちていくように感じ「死」や「消滅」を感じさせるものがありました。今は緊張と弛緩の繰り返しの中で音楽に合わせたり逆らったりしながら純粋に楽しむ方法を模索しています。
【2010/04/07 15:41】 NAME[hongiming] WEBLINK[] EDIT[]
ムーティのブルックナー
たまたま先日DLしたムーティ&ウィーン・フィルのブルックナー7番を聴きました。仰る無音の凄さを久々に堪能できました。ムーティは殆どブルックナーを録音していませんが、今や彼くらいしか素晴らしいブルックナーを演奏できる指揮者はいないんじゃ?なおこの録音は16年前の演奏、そしてぼくの好きなハース版によるものです。
http://rapidshare.com/files/272802678/BRUCKNER_Symphonie_Nr._7__Muti_.zip
【2010/04/08 00:43】


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1996年12月より香港在住
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