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香港からブツブツ
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ムント&京響、シャイー&ロイヤル・コンセルトヘボー、アルブレヒト&読響、そしてベルティーニ&都響、このコンビで共通で共通していることがあります。それはそれぞれが長らくシェフをつとめていた(アルブレヒトは来年迄)自分のオーケストラとのお別れ演奏会に選んだ曲が全て同じなんです。選曲されたのはマーラーの交響曲第9番。今3/17に急逝したベルさんの都響との最期(最後ではなく最期)の演奏が収録されてたCDが先日発売されました。このコンサートについては、昨年6/7のblogに簡単に紹介をさせて頂きましたが、その時はまさかベルさんと都響との本当に本当に最期の演奏会になるなんて、誰も想像もしていなかったし、実際に2006年には都響そして「一目惚れ」とベルさんが言っていた大フィルとの再共演が予定されていたのですから・・・。

この録音は昨今のライブ録音といいながらリハーサルやいくつかの演奏会を一部つぎはぎしたようななんちゃってライブ録音では無く、生々しい限りの1回録りライブ。改めてこのCDを聞くと1年半前の感動が蘇る。そしてあのときの感情には無かった辛さが彷彿として、ちょっと冷静な気持ちでは聴くことが出来ない演奏です。本当に本当に素晴らしくてなんと表現したらいいのですかね、メンバーはベルさんへの愛情と謝意、そしてベルさんもメンバーへの愛情と謝意を込めて、共に愛するマーラーの作品を慈しみながら渾身の演奏を聴かせてくれます。時折ベルさんの息づかいやうなり声が入っていて、それが余計にぼくを辛くさせる。(演奏後の拍手については、最後の一音が消え入ってからあまりに静寂が(40秒以上)が長かったので、少し拍手が出るのがCDでは早いけど、それは少々仕方のないこと。)

ベルさんはご存じのように音楽にはもとより、オケや歌劇場に対して非常に厳しい方なので、それが災いして欧米ではオケやあまり優秀でないのにもかかわらず有名である指揮者から疎まれて、活動の場を狭めてしまったことがあります。カラヤン時代には何度も共演したベルリン・フィル、前音楽監督からラトルに変わったことで漸く共演の話がでてきたばかりでした。しかし一方ではケルン放響の黄金時代を築いたにも関わらず、音楽監督を辞したあと、全く共演をしていません。このような指揮者、他にもいましたね?そうセルジュ・チェリビダッケ。チェリといえば彼は殆どマーラーを演奏しませんでしたし、当時ベルリンフィルと肩を並べる程に成長したシュトットガルト放響を頻繁に指揮していた頃、マーラー9番を演奏する予定がありましたが、チェリがキャンセルをしました。メンバーを知るボクの知り合いによると、チェリが「この偉大な作品を演奏出来るオケはこの世にない」と言ったそうです。その後同じシュトットガルト放響がベルさんと共演してマーラーの9番を演奏し(もう30年位前です)、その模様をNHKFMで聴きましたが、チェリの目論見は見事に外れて、素晴らしい演奏をしてくれた記憶があります。チェリが実質的には常任指揮者のような立場にいたシュトットガルト放響でベルさんは何度もマーラーを演奏していたということは、もしかしたらチェリが手塩にかけて育てたシュトットガルト放響でマーラーが演奏出来るのはベルさんしかいない、と演奏を託していたのでは?と勝手に想像をしています。その演奏からだいぶ経ってベルさんと個人的に知り合うこととなり、本人にそのことを訊いてみたところ、ベルさん曰く「ドイツではブルックナーはチェリビダッケ、マーラーはぼく、って言われているようだね」と他人事のようにおっしゃっていました。

そういえばケルン放響とのマーラー全集、9番はケルンではなくてサントリーホールで録音されたものですよね。ベルさんは本当に日本の聴衆が好きでした。都響のメンバーが好きでした。演奏会に行かれた方は判るかと思いますが、古参のメンバーも若いメンバーも分け隔てなく自分の演奏会の舞台に立たせました。その中では演奏能力に問題があるメンバーもいましたし、周りからメンバーの交代を助言する人もいましたが、彼は音楽監督として、都響を育てるためになかなか首を縦に振らなかったのです。東京都の予算削減に都響は非常に厳しい環境下におかれていて、自ら都知事に対して直談判を何度もされていました。青島前知事に対しては「彼にはだまされた、うそつきだ」と怒りを露わにしていました。現知事については「彼は作家でもあり、文化に対する理解と愛情は強く感じた。しかし政治家として苦渋の選択を余儀なくされている」と一定の評価をされていました。

ベルさんと知り合って20年、本当にいろいろな事がありました。コンサートはいつも無料で招待して下さり、何度も食事を一緒にし、いろんなお話をしました。勿論音楽のこと、香港のことやお互いの家族のこと。1995年神戸での大震災の時(当時神戸に住んでいました)、誰よりも早く安否を気遣って連絡をして下さったのは他ならぬベルティーニさんでした。そんな彼から貰った膨大な手紙、そしてe-mailがあります。でももう彼の演奏も彼の笑顔も見ることも聞くこともできなくなりました。本当に残念です。これほど深い絆に結ばれた音楽家はぼくにとってはこれから決して現れてこないと思います。

来年にはエルサレムに眠るベルさんの墓参りに行こうと思ってます。彼への感謝と愛情を表現するには、今となってはぼくにはそれしかできません。

有難うございました、マエストロ!


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