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香港からブツブツ
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話題の本、新潮新書から出ている麻生太郎著の「とてつもない日本」ですが、
ぼくも早速読んでみましたがなかなか興味深いですね。

とにかく安倍晋三が強烈に嫌いなので、たろうちゃんには
若干エコ贔屓しちゃうとこもあるかもしれないけど、やはり政治家には
ある程度経験を積んだ人物じゃないといけないな、って実感しました。

あっ、今回はその「とてつもない日本」のことでは無く、
彗星のように突如ヴェネズエラから現れてきた1981年生まれ、
現在26歳のグスタヴォ・デュダメルについて。
そのサイトをご覧になっている方は彼の事をご存知な方も
多いでしょうし、”グスタヴォ デュダメル”で検索すれば、
バイオグラフィーを見る事が出来ると思うので詳細は省略。

CDデビューはなんと名門DG、手兵シモン・ボリバール・ユース・オーケストラと
録音をしたのですが、いきなりベートーヴェンのSym.5とSym.7。

DGには、それこそ歴史的な世界を代表する指揮者陣がこぞって録音を
していますが、いきなりデビューでベートーヴェンのシンフォニーってのは
聞いた事がありません。
CDを聞いた方も多いと思うけど、凄いドライブ感で圧倒されます。
かつてのカルロス・クライバーを彷彿させます。
でもクライバーはウィーンフィルですからね。デュダメルは
ユースオケを振って、これだけ凄い演奏をしているのだから、
その才能とレベルの高さはとてつもない、と思う。

そして先日デュダメルがシュトットガルト放響を指揮して、ヴァチカンの
ベネディクト16世の80歳生誕を祝うコンサートのDVDを買って見ました。

ヒラリー・ハーン独奏のモーツァルトのVn協奏曲、ドヴォルザークのSym.9、
ガブリエリの作品など。
シュトットガルトというドイツ名門オケを指揮しても、
なんら怖じ気づくような様子も見せず、自分の求める音楽を
ひたすら追い続けているって感じ。特にドヴォルザークはとてつもない。
最近こんなダイナミックで叙情的な演奏を聴いた事がないですね。
DVDを見ていて、デュダメルの髪型とか顔つきが少し似ているから
かも知れないけど、若い頃のチェリビダッケを彷彿とさせてくれます。
戦争直後のベルリンに突如現れたルーマニアの指揮者チェリビダッケ、
ベルリンフィルは、チェリビダッケにとっては、殆ど初めて振る
プロのオーケストラ(オーディションではプロのオケを振ってはいますが)。
晩年のチェリと若い頃のチェリとは、残された映像を見る限りでは、
指揮ぶりも演奏スタイルも相当異なっていますが、もしかしたら
デュダメルもこれからチェリビダッケのようになるのかな?と
想像してしまいました。これからデュダメルはエーテボリ交響楽団や
ロスアンジェルスフィルの音楽監督に就任しますが、
スポイルしないで、この類い稀な音楽性を大事にしてほしいです。

ところでご存知YouTubeにはデュダメルの映像がかなり出ていますが、
オススメをちょっと紹介。

まずはスカラ座poを振ったマーラーSym.3の第一楽章のending。


そして終楽章のエンディング。



極めつけを3つ。シモンボリバールユースオケがスイスの
ルツェルンで演奏した際の映像。


のだめカンタービレのSオケを思い起こさせてくれます。







ねっ、とてつもないデュダメル でしょ!

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香港フィルの2006/2007シーズンは翌週(デュトワ指揮)と
翌々週(ボレイコ指揮ヨッシャ・ベルvn)で終わり。
それから夏休みを経て、9月から2007/2008のシーズンが始まります。
来シーズンの内容は前回紹介しました通り超豪華!今から期待ワクワクです。

ところでこのサイトを見ている方の多くはmixiを利用されているかな、と思いますが、
来シーズンへの期待を込めて、mixiに香港フィルのコミュをぼくが立ち上げました。
mixiでのアドレスはhttp://mixi.jp/view_community.pl?id=2325423です。
参加条件は自由、トピック作成の権限も自由としています。
是非コミュに参加ください〜!

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香港フィルの2007/2008シーズンが昨日漸く発表。
来シーズンは近年来で出色のプログラム揃いです!

音楽監督エドによる「薔薇の騎士」コンサート形式でシーズンは9/27からスタート。
実際は09/08-09にベートーヴェンのピアノコンチェルト全曲コンサートがありますが、
これはちょいと地ならし(?)コンサートかな。
なおこのピアノコンチェルト全曲演奏、ソリストは1曲につき1人、
2日間に分けて演奏します。そりゃそうだよね、演奏する方も観客としても、
なおこんな馬鹿げた東京でのコンサート、やる方もやる方ですよ。

その他ではマーラーの4番と6番を(これであとは8,9番を残すのみ)、
通称カラオケリング、エルガーSym.1やアランフェス協奏曲、
シェーンベルグ管弦楽編ブラームスのピアノカルテット、ウォルトンの「ヘンリー5世」、
パユとの共演でニールセンのfl協奏曲などとにかくいろんなタイプの音楽が盛りだくさん。
客演奏者もハンパじゃないです、バリー・ダグラス、ワン・ジャン、
ユンディ・リ、ジョセフォヴィッツ、アックス、さっき書いたパユ、
日本人では諏訪内晶子に五嶋みどり。

あのぉー、ニューヨークやベルリンやロンドンじゃないですよ、香港の話ですよ、念のため。


詳しくは香港フィルのサイトを是非覗いてみてください
サイトには演奏風景の映像や音声がアップされていますよ。
今、香港フィルが熱い!

...ところで今日の気温は29度、湿度95%。
香港は今日も暑い!

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昨年10月、台北出張の時に購入したショルティ最後の旅というDVDを買ったあとで、
いろいろショルティの足跡を調べたんですが、その際にとても気になるCDがでてきました。

これはハンガリーにいた時期に彼が師事を受けたバルトーク、ヴェルネル、コダーイの
作品を集めたCDです。
ショルティはユダヤ系のため、戦前祖国ハンガリーから脱出しました。
また戦後ハンガリーが共産化したこともあり、西側で音楽活動を行っていました。
東欧民主化のあと、漸く祖国に戻り、ハンガリーのブタペスト祝祭オケと録音したのがこれ。
長いショルティの録音歴で、ハンガリーのオケとの録音は初めて。
この録音の約3ヶ月後の09/05にショルティは亡くなってしまい、
最初で最期の祖国のオケとの録音となりました。

ただそれだけの理由でこのCDに興味がわいたのではなく、
録音されたバルトークの"Cantata Profana"について
ショルティ自身が語った内容があまりにも感動的だったからです。
(限定盤には彼のそのコメントと幼少時代からの彼の写真が
 おさめられた小冊子が付いています)。

1997年の2月、私はベルリン・フィルハーモニーとハンガリー放送合唱団を指揮して、バルトークの「カンタータ・プロファーナ」を演奏しました。演奏をしているうちに、私のなかに切実な思いがこみ上げてきました。それは、私の全生涯、これまでたどってきた旅の全てが、このカンタータの物語の中に含まれている、ということでした。

 物語です。九人の息子を持つ父親がいました。彼は息子達を、農民とか商人とかいったありきたりの人間にではなく、鹿を撃つ狩人に育て上げました。息子達は成長するに従って、森の奥深くにまで狩を進めて行きましたが、ある日魔法の橋を渡ったときに、彼らは  美しい鹿に姿を変えられてしまいました。

 長いこと息子達が戻らないことを心配した父は、彼らを探しに出かけました。とうとう彼はあの橋を渡り、泉のほとりに着きました。そして、九匹の鹿を見つけたのです。彼はその中の一番大きな鹿に銃でねらいをつけました。そしてまさに撃とうとした瞬間、彼は鹿が話すのを聴いたのです。その鹿は語りかけました。私は、あなたが最も愛した長男であり、もしあなたが私達のうちの誰かを撃とうとするなら、私達の角はあなたを引き裂いてしまうだろう、と。

 「私と一緒においで」と父は息子達に言いました。「お母さんは、寂しく、悲しみながら待ち続けている…・・、家には灯りも点いているし、食卓も整えてあるし、コップには飲み物もあるのだから」。息子達は言いました。「私達はけっして戻れません。私達の角は、家の戸口を通れないのですから」。捜索は哀しい事実を父に突きつけで終わりました。息子達はもう違ったものになってしまい、前の様にはけっして戻らないのだ、という。

 私はこの物語を、これまではいつもバルトークの生涯のアレゴリーとして理解してきました。しかし二月のあの日、このカンタータを指揮しながら、私は理解しました。私もまたこの鹿だったのだということを。この息子達が生まれ狩の訓練をしたように、私も生まれてそして音楽によって気持ちを通わせる訓練をしました。そして幸せなことに、私は音楽が豊かに息づいている国、ハンガリーで成長しました。そして人生の喜びとして音楽の力を熱く信じていました。

 しかしある日、まだ若かったとき、私は家族と祖国から離れました。私は音楽を追い求め、運命は私自身を私の狩のいけにえに仕立て上げました。私の人生の進展は私の角となり、祖国に帰ることを妨げました。

 私の人生は、いまや終わろうとしています。最近私は、バルトークの「カンタータ・プロファーナ」とコダーイ「ハンガリー詩篇」、ワイナーの「セレナーデ」のレコーディングを するために、少しの間ハンガリーに戻りました。これらの録音は私の先生達に感謝を示すものでした。

 ある日、私の古い友のズージ・ダンクスがやってきて、バラトンフェカジャールの村へ遠足をしないかと誘いました。それは私の父が生まれた村でした。私たちがそこに着いたとき、村の広場で多くの人が立っているのに出合いました。ズージは、私が祖先の村へ帰ったしるしに、記念の木を植える光栄を用意してくれていたのです。木のそばには、小さな銅版がはめこまれた石碑が建てられ、そこにはこう記されていました。「ショルティ・ギェルジィ、今は指揮者のサー・ゲオルグ・ショルティの訪問の記念に」。

 セレモニーが終わった後、村長は狭い村の道を通って、私達を古いユダヤ人墓地に案内しました。そこで私は、はじめて、祖父のサラモン・スターンと祖母のファニーの墓を、そして叔父のリポットの墓を見ました。第二次大戦の末期、押し寄せるロシア軍と撤退するドイツ軍の間の前線になっていたこの地区で、この墓がまだ残されていたのは奇蹟のようなものでした。

 私は午後の日差しの中に立ち、祖先の墓に囲まれ、そしてしばらくしてバラトン湖を見下ろす丘の上に立ちながら、この六十年の年月を通じてはじめて、私がどこかに属している、という思いに浸っていました。ハンガリーはふたたびヨーロッパの一部になり、垣根は取り払われたのだ、ということを悟りました。

 鹿は故郷に帰りました。彼の角は故郷のドアをくぐることが出来たのです。なぜなら、彼が不在の間に、戸口は段々高くまた広くなっていたからです。


昨日香港の中古CDショップで漸くこのCDを発見しました。
今迄日本に戻った時、結構マメに中古屋の在庫を調べていたのですが、
なかなか見つからなかったんです。
GET出来たのはこのショルティのコメントが入っている限定盤の方!!!
なお値段はHK$68(約1,000円)でした。


ショルティはハンガリーでのスタジオ録音のあと、
多忙なスケジュルをこなしそして07/12と07/13に
チューリッヒトーンハレとマーラーのSym.10の
アダージョとSym.5を演奏しましたが、
これが彼の最期コンサート。
その模様を収めたCDが近々発売されます。

(翌07/14にロンドンでROHのガラコンサートを指揮したような話もあります)

このチューリッヒトーンハレはショルティの膨大なオーケストラ作品で
初録音となった1947年の『エグモント』序曲と『レオノーレ』第3番を
収録したオケです。
ショルティが戦渦を避けて逃げ込んだスイスにあるチューリッヒトーンハレが
ショルティが録音した最初と最期のオーケストラとなりました。

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かつてグラモフォン・ジャパンって雑誌がありましたがご存知でしょうか?
イギリスのグラモフォンを元に日本語版として刊行されていましたが
わずか数年であっという間に廃刊になりました。
この雑誌、かなり好きだったんだけどな、ぼくは。
CDメーカーお抱え評論家なんかがいなくて、
結構ズバズバとコメントしていたのに。

ところで中国では人民音楽というタイトル(いかにも中国的な雑誌名!)で
グラモフォン中国語版が販売されています。

今月の特集はエド・デ・ワールトin香港。エドが香港フィル(HKPO)の音楽監督に就任以来、
ぼくのわが街オケHKPOは飛躍的な成長を遂げています。
就任以来、マーラーを積極的に取り上げ、あとは6,8,9番が演奏されていないだけ、
そして来年からはワーグナーの指環全曲をコンサート形式で取り上げます。

えっと人民音楽には毎月2枚のCDがついていて、イギリスのグラモフォンと同じく、
新譜やオススメCDのちょい聴き集のCDが1枚、そして毎月いろんな特集CDが
ついていますが、今月はエッシェンバッハが2004年10/30、
北京国際音楽節で演奏されたライブ録音。

いかにもエッシェンバッハらしく急発進、急ブレーキ、ねちょねちょ聴かせてくれます。
アンコールはラコッツィー行進曲と”売られた花嫁”よりコメディアンの踊り。
(これも収録されています)

ちなみに人民音楽は一冊RMB30(約450円)です。

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1990年、チェリが手兵ミュンヘンフィルと共に再び日本にやってきました。
前回の来日ではブルックナーはサントリーホールでSym.5を演奏したのみでしたが、
'90の来日公演はずらりブルックナー。

*10月4日:フェスティバルホール
ブルックナー/交響曲第8番
*10月6日:オーチャードホール
ブルックナー/交響曲第4番
*10月8日:オーチャードホール
ブルックナー/交響曲第7番
*10月10日:オーチャードホール
ブルックナー/交響曲第8番
*10月12日:パルテノン多摩
ロッシーニ/「どろぼうかささぎ」序曲
Rシュトラウス/ドン・ファン
ブラームス/交響曲第4番
*10月13日:武蔵野市民文化会館
ブルックナー/交響曲第7番
*10月16日:サントリーホール
ブルックナー/交響曲第4番
*10月18日:サントリーホール
ブルックナー/交響曲第7番
*10月20日:サントリーホール
ブルックナー/交響曲第8番

それにしても凄いね、書き並べてみると改めて!

ぼくは初日の大阪フェスティバルホールの公演を聴きました。
他ならぬチェリの演奏会ですから、会社には有休を取って万全の体制。
大阪フェスティバルホール近くのヒルトン大阪のロビーで開演前に
お茶でも飲もうかと立ち寄ったところ、燕尾服の上にトレンチコートを
まとった大男が背広姿の男性に腕を抱えて貰いながら歩いていました。
「チェリビダッケ!」

4年の歳月を経てまた彼と偶然出くわしました。
前回に較べてかなり歳をとった様子で、チェリのことを知らない人は、
ごっつい図体の足の悪い爺さんにしか見えないでしょうが、
ぼくにとってはとんでもないマエストロ、そしてまた偶然の再会!!!
またもや図々しくも彼に近寄り「前回の来日の時にエレベーターで
お会いして、ブルックナーSym.5東京公演を誘って頂いた者です」と
言うとチェリは覚えて下さっていて「No Ticketsだったそうだね」と。
さらに「今からホールでブルックナーSym.8のリハーサルがあるが、
聴きに来るか?」。勿論聴きに行きます!と即答しました。

大阪フェスティバルホールの入り口に行くとそこにはこんな張り紙が。
「チェリビダッケ・ミュンヘンフィル公開リハーサル」
つまり誰でもチェリのリハーサルが聴けたんですよ、ビックリ。
後日知り合いに聞いたのですが、ミュンヘンでは基本的に
チェリのリハーサルは全て一般公開されていて、誰もが自由に聞けるそうで。

夕方5:00頃からリハーサルが始まりました。チェリはホテルから
そのままの姿で、つまりトレンチコートを羽織ったまま指揮台へ。
足が悪いため、椅子に座ってのリハーサルが始まりました。
(実演でも椅子に腰掛けての指揮でした)
ゲネプロなので、殆ど演奏を止めることもなく、全楽章通し。
しかし3楽章でチェリが振り間違えたのか何かで、
とんでもなくアンサンブルが乱れたのにはビックリ。
その時ばかりはさすがに演奏を止めて再び同じ旋律を弾き直し。
そして圧倒的な終楽章を終えたのは6:30。
開演30分前に漸くリハーサルは終えました。

そして7:00、今度はトレンチコートを脱いだチェリがゆっくりと
舞台の袖口から現れました。

一晩にチェリのブルックナーSym.8をほぼ2回、
生で聴くなんて想像出来ます?


Altusから先日、来日公演の展覧会の絵とシューマンのSYm.4がリリースされました。

この演奏会の数日前に大阪フェスティバルホールでのチェリのかけ声は
もっと凄かったですよ。
特に展覧会の絵の”カタコンベ”(CDだとトラック16の1分43秒あたり)では、
ホール中にチェリの「えぇぇぃー!!!!」がこだましたから。

十八番中の十八番、ブラームスSym.4、死と変容、どろぼうかかさぎ序曲、
そしてこの世の音楽とも言えない程美しいピッチカートポルカが来月発売されます。

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今日05/26、アルバンベルグ弦楽四重奏団(ABQ)のコンサートに行きました。
彼らの演奏は20年以上前からLPやCDで聴いていたけど、
ナマで聴くのは実は今回が初めて。
別に避けていたわけではないんだけど、随分昔に聞いた友人の一言の影響で、
今迄コンサートには行っていませんでした。
友人のコメント、「ABQの演奏をナマで聞いたら、他のSQを聞けなくなるよ」

ABQを初めて聞いたのはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番(Op.135)。
きっかけはマーラーのSym.3の終楽章に凄く似た作品が
ベートーヴェンにある、って知り合いから聞いたことから。
聴いてみると、確かにこの16番の3楽章Lento assai, cantante e tranquilloの
出だしはほんとにマーラーのSym.3そっくり。
マーラーの頭の中にはこのベートーヴェンのフレーズが残っていてて、
Sym.3を作曲している時、ふとこの旋律をうかべたのかもしれません。

さてコンサートプログラムですけど、こんな感じ。
ハイドン:弦楽四重奏曲Op.20-4
ウォルフガング・リーム:Grave(トーマス・カクシュカの思い出)
べートーヴェン:弦楽四重奏曲13番(大フーガ付!)

タイトルに書いた「最初で最期のABQ」ってのは、近々ABQが解散をするから。
ヴィオラ奏者のカクシュカが2005年に亡くなってから、
彼の弟子、イザベル・カリシウスが正式なメンバーとして迎えられましたが、
カクシュカが存命中に決まっていたABQのコンサートスケジュールを終えると、
解散をするそうなのです。
05/31にソウルで行われるコンサートには、はっきりとサヨナラコンサートと。


ですからぼくにとって今晩のABQのコンサートは最初で最期。
大フーガを終えて、ぼくにとって最初で最期のABQのナマ演奏は終わると
思っていたら、とんでもないことが。
アンコールでベートーヴェンの16番の3楽章を演奏してくれたのです!
そう、最初にぼくがABQを知ったあの曲を。本当にたまりませんでした。
心からの感謝を込めて、スタディングオベーションでABQに拍手をしました。

ABQのCDといえばなんと言ってもEMIと録音したベートーヴェンの
弦楽四重奏曲全集でしょうね。



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出張で東京に来ていますが、来日の際は必ず円盤巡り。
今回も数枚買いましたが、店頭を訪れる迄全く知らなかったのがこのCD

キタエンコ&アンサンブル金沢(OEK)によるショスタコと
チャイコフスキー作品集。
今、金沢ではこんな素敵な音楽が石川県立音楽堂ホールでは
奏でられているんですね、羨ましい。
音楽が今まさしく生まれてきたような瑞々しさに溢れている。

韓国KBS交響楽団をキタエンコが辞めたと思ったら、
OEKのプリンシパル・ゲスト・コンダクター
最近就任しているとは知りませんでした。
キタエンコは現存(?)するロシアの指揮者としてはイチバンぼくは好きです。
彼がかつてシェフだったベルゲンPOとライブ録音したブラームスのSYM.4と
モーツァルトPF協奏曲23番のCD。(全く入手困難です、すみません)
もっともぼくが愛するブラ4とモーツァルトPFコンチェルト23番です。
キタエンコ、香港フィルに来てほしいなぁ。

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日本では6月末に発売されるチェリビダッケとRAIトリノとのライブ映像。

版元であるOpus ARTEから第一弾としてブルックナーSym。9が出たので早速見て(聴いて)みました。

チェリと言えばすぐテンポの事を言われ、やれシュトットガルトRSO時代のテンポがいいとか、いやいやミュンヘン時代が良いとか、そういうコメントを聞きますが、オケも演奏した場所も曲も聴衆も異なるのに、どうして比較が出来るのか、ぼくには理解に苦しみます。

このDVDは60代のチェリビダッケですが、晩年とそれほど基本的には変わっていないです。抑揚の効いたダイナミクス、確実なテンポの取り方、恐ろしいぐらい巧みな指揮ぶり、40年前にヨーロッパではこんな素晴らしい音楽が流れていたのかと、改めて驚愕。しかもベルリンでもウィーンでもパリでもロンドンでもなく、イタリアのトリノで、です。

映像を見るたび感じますが、チェリの指揮って本当に素晴らしいですね。打点をどれくらいの高さで打ち、指揮棒の先をどのように向けて振るか、両腕の幅や高さはどうすれば良いか、パウゼをどうやって止め、そして始めるのか。何もかもが思いつきやひらめきではなく、全て考え尽くされている。こんな指揮者、世の中にいるんでしょうか???

今月はまたOpus ARTEから第二弾としてベルリオーズの幻想Sym.が発売されます。

チェリはこの曲を余り評価していなかったって聞いていますが、どのように聴かせてくれるのか楽しみ。

チェリ以外の指揮者のDVDで、これから楽しみなのはこれ。

クーベリークの名演奏がどっさり詰まったDVDです。

ポートレイト~ラファエル・クーベリック(2DVD)
DVD1
・モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504『プラハ』[25:00]
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 
・ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番 Op.72a [16:00]
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 
・ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 Op.36[35:00]
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』[55:00]
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 
DVD2
・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』[67:00]
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 リハーサル映像付き
・「彼の音楽的生活より、ある風景」

詳しくはHMVのサイトをご参考迄に。

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2ヶ月ぶり、お久しゅうごうざいます!

今日、ロストロポーヴィッチ(ニックネームはSlava)が亡くなった。
ちょっと前にはエリツィンが亡くなったし、何かソヴィエトの歴史が
次第に消え去って行くような感じがしました。


ぼくはあまりSlavaの熱心な聞き手ではないけど、このCDは大好きです。


1968年8月21日、ロンドンのプロムスで演奏された演奏会が収録されています。
曲はドヴォルジャークのチェロ協奏曲、スヴェトラノフ指揮ソヴィエト国立orch.。
演奏直前、聴衆が何かを叫ぶ声が収まっているのですが、実はこの演奏会の
数時間前の08/20の深夜、ソ連が率いるワルシャワ条約機構軍がチェコに
軍事介入したのです(チェコ事件)。
軍事介入した国が介入された国のもっとも愛されている作曲家の一人、
ドヴォルジャークの作品を演奏するのですから、演奏するSlavaをはじめ、
そこで演奏する人たちは相当複雑だった気持ちでしょうね。
ちなみに聴衆が叫ぶ声、これはおそらく「軍事介入反対!」
といったニュアンスの事を叫んだのでしょう。

ところでタイトルに書いたSlavaに捧げる演奏会、今日はたままた香港で
ロンドンSOの演奏会を聴きにぼくは行っていました。
演奏に先立ち、オケの代表がスピーチ。
「演奏に先立ち、悲しいお知らせをしなくてはなりません。今日ロストポーヴィッチさんが病気で亡くなりました。SlavaとロンドンSOは実に46年に渡って素晴らしく、思い出深く、実り大きい関係が続きました。近年ではショスタコヴィッチの全曲演奏やさまざまなコンサートをSlavaと行いました。20世紀を代表する作曲家たちはSlavaのために多くの素晴らしい作品を作り出しました。今夜の演奏会はそんなSlavaに捧げたいと思います」
LSOのプレスリリースはこちら。

確かにSlavaがもっとも(今となっては)晩年に指揮者として
関係が深かったのはロンドンSO。
今夜のベルグのVnコンチェルト(vnはツィンマーマン)、
マーラーSym.5(いずれも指揮はダニエル・ハーディング)は
本当に感動的な演奏会でした。

これからSlavaを追悼する演奏会が色々開かれるかもしれませんが、
亡くなった当日に追悼演奏会を聴く、それも故人と本当に密接な関係が
あった音楽家による演奏会ってそうめったに遭遇するものではありません。

今夜はここに紹介したSlavaのドヴォコンを聴く事にします。


ところでぼくが前にロンドンSOを聴いたのはチェリビダッケが率いたときの27年前の今日。


ボクのコンサートの思い出をご覧ください。
全く同じ日とは偶然だとすればちょっと話が出来すぎている!

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来週土曜、久々の引っ越しをするんですが(といっても香港島内)、長年放ったらかしの”つんどく”を整理して、これを機にどう考えても要らない、もしくは読まないものをポイポイ捨てようっと。まぁ出てくる出てくる!とっくの昔に処分したビデオデッキの説明書やら、数年前のフードデリバリーのカタログなどなど。一方では「そういえばどこに行ったんだろう、あれ?」ってのが出てくる出てくる♪

ではばってん通称ヲタコレの一部を公開。


ばってんがクラヲタになったきっかけとなった小澤征爾&ボストン交響楽団の演奏会。当時小澤征爾もボストンSOも全然知らなくて、親に連れられ聴きに行ったコンサート。あの時コンサートに行っていなかったら、CDまみれの家になっていなかったかも・・・。

それからはクラヲタ街道ばく進!そして初めて巨匠中の巨匠の演奏会にふれたのがこれ。

レニーとイスラエルフィル(IPO)のマーラー9番。レニーの演奏会はその1ヶ月前に広島平和コンサートが初めてだったのですが、やはりマーラー9番は特別。実はあまり知られていない話ですが、当初IPOは来日公演を9番ではなく6番を計画していました。IPOとレニーが来日するニュースを雑誌で見てすぐぼくはIPOに公演予定曲を手紙で問い合わせた際の回答が6番だったのです(その手紙が出てこない・・・)。「日本では'70にレニーとNYPとの名演奏が有名です、是非9番に変更してください」と返信したところ、しばらくして「9番に変更になりました」とIPOから再び返信が。レターの主は現在も事務方のtopをつとめるAvi Shoshani氏。そして来日の際Avi氏に面談したところ「今からレニーがリハーサルをするのでホールに来るか?」と。勿論!リハーサルはウエストサイド物語でした。温泉場か旅館の便所下駄みたいなのを履いてのリハーサル。IPOのメンバーはとにかくレニーが何か指示していてもずっとぺちゃくちゃ喋っている。それに怒ってレニーが「出て行け!」と。怒られたそのメンバーはそそくさと舞台袖口へ引っ込んじゃった、ヲイヲイ!えも何事も無かったかのようにまたリハーサルは続く。”マンボ!”のかけ声を何度も何度もやり直しを命じるレニー。何かととても印象的なリハでした。ところでAvi氏からぼくのことをレニーは聞いていたらしく、終演後のサイン会でレニーと長々と話をしました。特に広島平和コンサートの事について。非核への思いとかを伝えると、非常に彼は喜んでくれて、ちょっと涙ぐんでいました。そしてレニーがサインと一緒にぼくのに書いてくれたのがこれ。”Again!”って書いていますが、残念ながらこれを最期にぼくはレニーの演奏会に接する事はできませんでした。

ヤンソンスについても少し。今じゃもうとんでもないマエストロになっちゃいましたね。彼の演奏会をはじめて聴いたのはオスロフィルとの来日公演。まぁその時点でもマエストロでしたが・・・。公演後サインをもらいに楽屋裏に行きました。差し出した彼のCDを見て一言。「こんなぼくのCD出ているの?」って。差し出したのはBBC MUSIC MAGAZINEの付録でついていたR.Straussの”アルプス交響曲”全曲(オケはBBCウエールズSO)。彼に雑誌の事とか教えてたら、「後でホテルにfax送ってくれない?」と。それで雑誌の表紙とかコピーして送った返事がこれ。

んで手紙を今度はオスロに送ったらこれが届きました。

手紙とヤンソンスのサイン入りポートレート、そしてオスロフィルの演奏会スケジュール表とディスコグラフィーなどなど。全く違う機会に指揮者の尾高忠明さん(CDでヤンソンスが共演したBBCウエールズSOの音楽監督だったので)にインタビューした際、このエピソードをお話すると「全く彼らしいね。ウィーンでヤンソンスとは一緒に勉強した仲だけど、若い時から今に至る迄本当に素晴らしいパーソナリティーをしている」と。

いきなりハングル語だけど、これはぼくがソウルに出張に行った際の戦利品。

一日まるまる仕事が無い日があったのでソウル市内のCDショップに行ったところ、韓国のトップオーケストラと言われるKBS交響楽団のCDが一枚もない。ホテルのコンセルジェからKBSに連絡をとってもらったところ、KBS放送局にはあるとのこと。早速KBSまで行ったのはいいのですが、受付も守衛もみんなハングル語(そりゃそうだわな)。なんとかかんとか担当者のとこにたどり着きました。数枚CDを購入した際にぼくが「そういえば、最近佐渡裕がKBSSOを振りましたよね?ぼく佐渡さんとはちょっと知り合いなんですよ」と言う(担当者は英語ケンチャナヨー「問題無し」)と、書棚から佐渡さんの演奏会プログラムを持って来てくれて「いいよ、持て帰って」って。他にもKBS関連の本とかいろいろ貰っちゃいました、恐縮恐縮&カムサムニダー!!!

佐渡さん関連ではこれもついでに。

左は聖響ちゃん、右は佐渡さん。どっちも関西弁でサイン!


いきなり時代は50年近く前に戻りますが、これは1959年11/05にボスコフスキーがウィーンフィルと東京体育館で演奏した「ウィーン・フィルハーモニー交響楽団”シュトラウスの夕べ”」のプログラム。ぼくが生まれる前の演奏会です。両親が聴いた演奏会でもありません。これは原宿近くの東郷神社にぶらっと寄った時、蚤の市みたいなとこで見かけて買ったもの。この手の収集家では全くないのですが恐らく300円か500円だったんで買ってみました。実は貴重なシロものすか?

引っ越し作業はまだまだ始まったばかりですが、もうかなり億劫なんですがね。さて音楽でも聴こうかっと。

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香港フィルの2005/2006のシーズンまではちゃんと聴いたあとにばってんの香港フィル日記に書いていたんだけど、2006/2007のシーズンはすっかりさぼりまくり。まぁ印象深い演奏会が目白押しだったんで、いつでも書けるわなって思ってたら、年を越しちゃった、すんません。
でも今日(02/16)聴いた演奏会はちょっとここに書かせて貰います。
指 揮: エド・デ・ワールト
二 胡; 陳軍
ピアノ: 孫穎迪
曲はあえて中国語で(そっちの方がニュアンスが伝わりやすいでしょうから)
1 《節日序曲》
2 《懷舊》
3 民歌主題組曲:《鬧元宵》、《茉莉花》、《藍花花》
4 《戰馬奔騰》
5 《良宵》
6 《北京喜訊到邊寨》
7 《紅色娘子軍》交響組曲選段:《序曲》、《快樂的女戰士》、《五寸刀舞》
8 《黃河》鋼琴協奏曲
9 郭文景 - 《禦風萬里》

1は英語ではFESTIVAL OVERTUREって付けられているようにショスタコの祝典序曲そっくり。旋律はさすがに中国風だけど、ここでブラス、ここで弦楽器、ここで打楽器、そしてフィナーレは金管が高らかに鳴るってのがすべてショスタコの祝典序曲の展開と同じ。中国ではクラシック作品の作曲までコピーかよ!

2は1929年に共産化される前の上海を描いた作品。共産化された中国では550年あまりも演奏を許されず、80年代になって漸く再び演奏されたそうです。作品自体はR.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」の出来損ない、って感じのもの。

3はにぎやかな典型的なコテコテ中国!って作品。あぁ〜こりゃこりゃ〜♪風です。

4は二胡の超絶技巧を楽しむ作品。しかしそれがどうかしたの?って感じ。

5は4とはうって変わって二胡の音をしみじみぃ〜って楽しむ作品。これは気に入ったなぁ。

で前半終了。なんか雲呑麺が食べたくなりました。

さて後半。
6の意味は「北京からいい知らせ」。なんか恋物語かサクセスストーリーか何かと思ったら、「四人組が失脚したぞ!」がいい知らせだって。まぁ文革でエラい事に中国全土がなっていたので、そうかも知れないけど、何でもかんでも「四人組」のせいにしていたもんね。当時(30年程前)、ぼくは北京放送の短波放送(日本語)を聴いていたんだけど(BCLって知っている?海外短波放送を聴くのがはやっていたんよ)、あれもこれも四人組だ!って北京放送でヒステリックに何度も何度も言っていた。中学生だったぼくは、「へえそんなに四人組って悪い奴らだったんだ」って信じ込んでいた。

7はその「四人組」の一人江青(ご存知毛澤東の奥さん)が大きく関係した革命バレエ「紅色娘子軍」交響組曲。文革時代はこの革命バレエ「紅色娘子軍」、舞台芸音楽「白毛女」、そして次の「黄河」しか管弦楽を演奏する事が許されていなかった。
  

「北京からいい知らせ」を演奏したあとで、四人組の張本人である江青が関係する作品を取り上げるのは、何とも心憎い。「本当に四人組ばっかりが悪いの?じゃこの作品の存在意義は?」ってなんかプログラミングを通じて、聞き手に問いかけているような感じ。

8はご存知「黄河」ピアノ協奏曲。ぼくはこの作品を”世紀の駄作”と呼んでいる。がちゃがちゃピアノとオケが鳴っているだけ、おまけに3楽章では中国国歌義勇軍行進曲の冒頭は出てくるわ4楽章では毛澤東を讃える「東方虹」、極めつけは共産主義のテーマ曲とも言われる”インターナショナル”(ロジェストヴェンスキー指揮ボリショイ劇場) (トスカニーニ指揮NBC交響楽団 アメリカ国歌もついているよ、ゲッ!) まで登場。

思わず4楽章ではぼくは耳を塞いでしまった。ぼくより昔の世代の人はこのインターナショナルを50-60年代に学生・労働者として歌っていたと思う。共産主義という国家が作り上げた架空の世界にどれだけの人が傷つき命を落としたかと思うと、香港フィルの熱演にもさすがに拍手はできなかった。拍手をすることは共産主義を認める事になる、とボクは思ったんで。

で、最後の9。これだけ作曲家名を書いたのは、エドデワールト&香港フィルお披露目公演の際にこの作曲家の作品を取り上げたからです。今日の作品は香港の中国返還に際して作曲されたもの。返還自体はぼくはちっとも嬉しくないのですが、作品自体はとても夢に満ちあふれた感じで、香港の前向きさ、良くも悪くもクヨクヨしないところが現れていました。そしてこの曲だけが全く中国政府の関与を受けていない作品。

一晩でなんか共産主義国家中華人民共和国の姿を垣間見たような気がします。そして教条主義に共産主義が走ると、こうも硬直した文化しか生まれてこないのかと。
芸術はやはり絶対的に自由な環境に有るべきです!

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極々局地的にヲタクの間で大受けしている(らしい)謎のアメリカレーベルSelectmediaのCDがどっさり送られて来た。特にビックリこいたのがこれ。
    

左から(ジャケットみただけではわからないけど)チャイコのSym.5、マーラーSym.1、ブラームスSym.3。まあいわゆる通俗名曲揃いなんですけど、何もかもが超トンデモ!指揮者もオケもどうやらロシア系なんですが、Googleを使ってもYahoo!を使ってもまったく指揮者名もオケ名も全くhitしない怪しいお歴々。演奏者が怪しいだけならまだしも、演奏がこれまで聴き馴染んでいる演奏と全く違う。テンポも強弱もフレーズも。でもすべてがあのチャイコのSym.5だし、あのマーラーSym.1だし、あのブラームスSym.3。一体全体どんなものなの?って訊かれてもちょっと答えづらいですが、とにかく全てがデフォルメされています。遅いところはさらに遅く、デカい音はさらにデカく、静かなところはさらに静か。しかしよく考えてみると、今迄チャイコ定食とかマーラー弁当とか、ブラームス・セットを食べていただけで、シェフのこだわりチャイコとかマーラーとかブラームスを食べてなかったってこと。
ぼくは中学生くらいからクラシックを聴きだしたけど、今回購入したCDを聴いてみて、ずっとJIS規格な演奏に感化されていたんだなって、痛感しました。そして音楽の奥深さを強烈に実感。

こんな怪しいCD、珍奇な安っぽいジャケットみたらわかるように、日本の大手CDショップでは全く売っていませんから念のため。ぼくが購入したのはアメリカのネット販売ショップです。

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YouTubeをウロウロしていると、実にいろんなものがでてきますね。
今回はバンコク・オペラ。ここの音楽監督で作曲家でもあるソムトウ(SOMTOW)が恐らく自分でアップしているバンコクオペラの演奏風景の数々。


コシファントゥッテとか


タイーだ!じゃなくてアイーダ(その1)とか


どうだ!アイーダ(その2)。


ワーグナーもビックリ、ラインの黄金(その1)


チャオプラヤー川の黄金じゃないよ、やっぱりラインの黄金(その2)


リサイタルとか、まさしく不思議な魔笛とか色々他にも登場します。興味が有る方はここをクリックしてみてね。

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1980年4月に初めてチェリビダッケの演奏会を大阪で聴いて以来6年ぶりのチェリの来日公演、1986年10月17日金曜日でした。同じホール(大阪フェスティバルホール)で同じ「展覧会の絵」がメインプロでした。演奏を聴いて茫然自失したぼくは目に感動の涙をいっぱいうかべて舞台に駆け寄り、チェリに握手を求めていました。足が既に悪かったチェリ、ぼくに駆け寄ってくれて、握手をしてくださいました。握手した彼の手の実に大きいこと!そのふと我に返り、足の悪い彼に悪い事をしたな、と猛省・・・。

翌日(10/18土曜)、大阪梅田にブラブラぼくは出かけました。あるショッピングセンターのエレベーターを待っていました。エレベーターのドアが開いた時現れたのは、なんとチェリビダッケと彼の通訳。チェリとボクの顔を見合わせ同時に「あれ!」という表情に。「君は昨日コンサートに来ていたよね」と。「覚えて頂いていましたか!足の調子が芳しくないのに失礼しました。ぼくは6年前、ロンドン交響楽団との演奏会を聴きました。」と伝えると「6年前ということは、君はコレくらいの身長かい?」と120cm位の高さを笑いながら手で示していました。「いえいえ高校生ですよ。大阪でマエストロの演奏会を聴いて以来、最も素晴らしい指揮者として再来日を待ち望んでいました」と話すとチェリは突然こう言いました。
「君はブルックナーを聴いた事があるか?」と。「マエストロは評価されませんでしょうが、FMラジオでマエストロのブルックナーは何度か聴いています」と答えると、「ラジオはダメだ。あれは音楽ではない。君は東京に来て私のブルックナーを聴きに来ないか?」と実に真剣な表情で尋ねられました。大学生だったぼくは授業やバイトの事もあって、東京のブルックナー公演があることは知っていても、チケットを買ってはいませんでした。そのためマエストロには「東京公演のチケットは持っていませんので、聴く事はありません」と答えました。するとチェリは「是非聴きに来なさい」と。何のことを言っているか、ボクの英語力が拙いためか理解できなかったのですが、とにかくぼくは「残りの日本公演、大成功である事をお祈りします」と答えてチェリとの会話は終わりました。

彼の言葉がどうも引っかかって翌々日の10/20(月)に招聘元の梶本音楽事務所に電話し、土曜日の会話とボクの名前(チェリには名前は伝えていなかったのですが)を伝えました。梶本側は「彼のようなマエストロはよくこういうことをおっしゃるんですよ。一応マエストロにはお話しますが、あまり何も期待しないでくださいね」と何ともつれない応対・・・。
念のため翌日夕方に梶本に電話すると「xxxさん、お電話お待ちしていたんですよ!マエストロからはxxxさんがおっしゃる通り、「大阪で出会った男に10/22のブルックナーのコンサートに招待した。」と伺いました。しかしチケットは関係者用を含め完全に売り切れてしまい、xxxさんにお渡し出来る分がまったくありません。もし可能でしたら本日(10/21)の名古屋公演にお越しいただけますでしょうか?xxxさんへマエストロからのご招待チケットをご用意できますから」と一転して懇切丁寧な受け答え!ぼくが電話したのは17時過ぎ、新幹線に乗ってもとても開演時間には間に合わなかったので、残念ながらその場でご辞退しました。

そんなことがぼくにはあったこのコンサート、そしてその模様を収録したCD。


初めてサントリーホールで演奏をチェリが行ったにも関わらずホールの特性を知り尽くしているような音楽作りですね。1音1音が溢れんばかりの魅力にあふれている。FM東京はこのブルックナーのコンサート以外にも演奏会の模様を放送しているので、ぜひコレも商品化してほしい。ちなみにプログラムはこれ。
ロッシーニ/どろぼうかささぎ、序曲
Rシュトラウス/死と変容
ブラームス/交響曲第4番
いずれもチェリが得意にした作品ばかり。

そして4年後、再びチェリが来日した時、信じられない嘘のような話がまた起こりました。その話はまた後日。

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2006/2007の香港フィルのシーズンの中でも注目をしていたオスモ・ヴァンスカ指揮の演奏会、華南・ヴェトナム出張のため、聴きそびれて実に残念だったのだけど、なんとRTHKのサイトでその日のコンサートの全て(2時間3分)が動画で見られます。



PCユーザーの方でしたら、この動画をGetASFStreamなど使えばDLも可能。

今迄香港フィルの事を紹介してきていますが、「果たして香港フィルってどれ位の実力?」と思った方、是非動画でチェックしてみてください。

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前回紹介したLA SCALA BOOKSTOREなるCD、買いそびれた数点を買い求めるべく、また中古屋に木曜と今日再訪。買いそびれた分、全部残っていました、ホッ♪

今回はスカラ座の以外にもこんなCDを買いました。



まずはインドカレー屋のBGM、このCDは去年日本で発売されて、結構評判になっていたのは知っていたんだけど、まさか香港で未開封「見本盤」がHK$25(350円)で買えるとは!

インドカレー屋の下にあるのは、新日鉄コンサート40周年記念CD。高校2年生だった竹澤恭子、19歳の長谷川陽子や大学1年生の長谷川陽子(いずれも録音当時)など今をときめく日本人音楽家が目白押し!これはHK$15(210円)で買いました。

新日鉄コンサートのCDの横は寺内タケシとバニーズの”レッツ・ゴー「運命」”。エレキの王様寺内タケシがクラシックに挑戦(昭和42年<1967年>録音)したもの。今から40年近く前になんともエキセントリックな音楽を演奏したんでしょう!なおこれはHK$18(270円)で買いました。

このCDを通じていろいろネットで調べていたら、なんとその当時、エレキ禁止令なるものが発令されていたそうです。
1965年、栃木県足利市教育委員会が「エレキ禁止令」を出したのを発端に、“エレキギターは不良の温床”として、全国規模でエレキ弾圧・追放運動が起きたという。番組での寺内タケシの発言によると、エレキのライヴに行ったら停学、エレキをやったら退学だったらしい。そんな全国のエレキ少年たちからの窮状を綴った手紙や声、「エレキ禁止令」への反発から寺内タケシが始めたのが、「スクールコンサート」である。

もっとも、当初は学校関係者の無理解に苦労したそうで、「スクールコンサート」の実現に向け、寺内タケシは3年間で100校回ったものの、どこも門前払い。話だけ聞いてくれた学校でさえ、たった3校のみという。落ち込んだ寺内タケシが「恥を忍んで」訪れたのは、故郷の茨城県土浦の母校だった。
「噂には聞いていた。泣くんじゃない。うちの学校でやれ。正式に『芸術鑑賞会』として取り上げる。命を懸けてもお前を守る」
母校の校長(柔道八段)の理解と協力により、「エレキ禁止令」から3年後の1968年、寺内タケシは母校の茨城県立土浦第三高校でのコンサートを実現した(寺内タケシの第1回「スクールコンサート」は、公式には1974年らしい)。
寺内タケシによると、年間180回行うコンサートのうち、40回が「スクールコンサート」とのこと。1回につき百万円もの赤字を背負うことになる「スクールコンサート」を、寺内タケシは今までに約1,300校で行い、2004年12月には、音楽を通じた青少年教育に貢献したとして、文化庁長官表彰を受けている。


レッツ・ゴー「運命」の上にあるのがカンテルリのコシ・ファン・トッティ。これが一番高くてHK$28(400円)。

それにしても一体なんでこんな日本盤が香港の中古CD屋にあるんだろう???

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最近ご無沙汰していた中古CD屋に寄ったら、こんなのが。

まずムーティのはミラノスカラ座再建50周年記念ライブ(18/May '96)、カラヤンのはフィガロの結婚全曲(4/Feb. '54)、フルトヴェングラーのは'50年3-4月に演奏されたワーグナーの指輪の抜粋、トスカニーニのは戦後演奏されたライブ満載(展覧会の絵全曲とかヴェネチアのフェニーチェ劇場にて演奏されたモルダウだとか、ルツェルンで演奏された死と変容とか)。今日はこの4タイトルを買ったのですけど、お店にはその他にジュリーニのアルジェのイタリア人(全曲)とか、カンテルリのコシファントッティ(全曲)、ヴォットのボエーム(全曲)とか、スカラ座の名歌手ハイライトなどがありました。

お店に有ったこれらのCD、すべてあのイタリア盤についてあるシールがついていて、いずれもそのシールが破られていない未開封モノばかり。

裏表紙にはLA SCALA BOOKSTOREって書いているのですが、自主制作盤?装丁も録音状況もしっかりしている。そしてどうやら正規盤としてリリースされた事のない録音が大半。とりわけトスカニーニのはそう。

実はこれって相当お得な買い物だったのでしょうか?
購入価格は2枚組でいずれもHK$28(約500円)!

各タイトル数枚在庫があったのですが、あしたまたお店に行って買い占めるべきだろうか?

だれか教えてください!!!

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まずは下の画像をクリック(マーラーSym.8 1部のエンディング)



クラヲタ諸君(ボクを含め)、家ではこんなことやっているしょ!?
同じくマーラーSym.8 2部のフィナーレもちょっと紹介♪



そして出色はこれ(わんちゃんも出るよ♪)



アメリカの21歳クラヲタWilliam Zauscher君の勇姿(?)を全部みたい方はこちらへ。R.Straussの「死と変容」のフィナーレはマエストロ級です。

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ポール・モーリアさんが南仏ペルピニャンで死去された、81歳。クラシック音楽にどっぷり浸かる前まではぼくはポール・モーリアが大好きで、確か高校生の時に神戸国際会館でコンサートを聴いた。イージーリスニングってカテゴリーでポール・モーリアの音楽は区分されるけど、ある意味随分な言い方だなぁ、って以前から思っていた。イージーって意味は安易とか簡単とかで訳されるけど、老若男女を問わず気軽に音楽を聴けるような作品をポール・モーリアやジェームズ・ラストとかは大変な努力で作曲や編曲をしたと思う。難しく表現する事より、よりわかりやすく表現する事がどれだけ何事でも大変なことか。
SAYONARA、ポール・モーリアさん。

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半導体商人
自己紹介:
1996年12月より香港在住
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